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懐徳堂で行われた講義

江戸後期の大阪文化・経済を支えた教え

懐徳堂では、町人たちの求めに応じて、商業活動の基盤となる倫理道徳について講義を行いました。教材は、中国の代表的な古典である『論語』や『孟子』です。 『論語』は、春秋時代の思想家・孔子の言行録とも言える儒教の経典です。また、孔子のあとをついで儒家思想を展開させた戦国時代の孟子は「亜聖(あせい)」と呼ばれ、その著『孟子』は、後に朱子学の中で尊重されました。

 懐徳堂が設立されてから二年後の享保11(1726)年、懐徳堂は江戸幕府から公認され、「大坂学問所」となります。それを祝う記念講演会において、懐徳堂初代学主の三宅石庵(みやけせきあん)(萬年)が行った講義は、『萬年先生論孟首章講義』(まんねんせんせいろんもうしゅしょうこうぎ)という筆記録に残されています。題名は、石庵が『論語』『孟子』それぞれの冒頭の一章について講じたことにちなみます。

 石庵は、「論語」や「孟子」の題名、各首章の意味、それぞれの字義などについて、噛んで含めるように解説しています。末尾には、「浪華学問所懐徳堂開講會徒」として当日の講演を聴講した78人の名前が列挙されていて、その中には、後に懐徳堂助教として活躍した五井藤九郎(蘭洲)や、富永善右衛門(芳春)らの名が見えます。

 それでは、懐徳堂では、『論語』や『孟子』を読むことによって、何を学んだのでしょうか。それは、「人の道」でした。石庵は、次のように説いています。 「学」とは何を学ぶのか。「道」を学ぶのである。「道」とは何か。「人の道」である。人と生まれたからには「人の道」を学ばなければならない。「道」をさらに分けて言えば、「君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友」の五者が各々のしかるべき道にかなうことである。つまり、君主は君主らしく、臣下は臣下らしく、父は父として、子は子として、各々の道をまっとうすることが「人の道」であり、それを実践できるから「人」と言われるのである。しかし、現実には、気質の偏りや耳目の欲望によって、人は自分の生まれつきの「道」を失うことがある。それを決して失わないのが「聖人」である。「学」とは、言い換えれば、この「聖人」の道を学ぶことである。

このように、懐徳堂の教授たちは、受講生を前に「人の道」を学ぶことの重要性を力説しました。懐徳堂は、大阪町人の経済力を基盤として運営され、受講生のほとんどは町人(商人)でした。しかし、懐徳堂では、商業活動や営利事業について論ずるのではなく、それらを根底にあって支える「人の道」を説いたのです。
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