懐徳堂では書籍だけでなく、文化的に貴重な品が収集・保存されていました。
ここではその一部をエピソードを交えながらご紹介しています。
懐徳堂瓦当拓本(かいとくどうがとうたくほん)
縦14.9×横14.5cm 大阪大学懐徳堂文庫蔵
懐徳堂を模写した古い図面によると、学舎はその創設時には茅葺きで、宝暦元年(1751)の改築の際に瓦葺きになったと考えられます。その後、学舎は寛政4年(1792)の火災によって焼失しました。第4代学主中井竹山は、再建を機に懐徳堂の敷地拡大や聖堂の建設などを企画して、いったんは幕府から許されます。しかし後に何度も工事の規模縮小を求められ、最終的に幕府から与えられた手当金は、焼失前の規模への復旧にも足らない300両に過ぎず、不足分は同志らの寄付によって賄うという有様でした。
こうした困難な状況下にありながら、竹山は特にこのような軒丸瓦を作らせて、懐徳堂の理想を高く掲げようとしたのです。
なお、この軒丸瓦そのものは現存しません。しかし、残されたこの拓本は、寛政再建時の懐徳堂の様子とそこに込められた熱き情熱を物語っています。
現在、この拓本は、懐徳堂記念会のシンボルマークとして使われているほか、大阪歴史博物館内の学習情報センター「なにわ歴史塾」にも掲げられています。
なお、この軒丸瓦そのものは現存しません。しかし、残されたこの拓本は、寛政再建時の懐徳堂の様子とそこに込められた熱き情熱を物語っています。
現在、この拓本は、懐徳堂記念会のシンボルマークとして使われているほか、大阪歴史博物館内の学習情報センター「なにわ歴史塾」にも掲げられています。