懐徳堂では書籍だけでなく、文化的に貴重な品が収集・保存されていました。
ここではその一部をエピソードを交えながらご紹介しています。
左九羅帖(さくらじょう)
中井履軒著 1帖 縦28.5×横17.1cm 大阪大学懐徳堂文庫蔵
動植物・鉱物などを、主として医薬の観点から研究する学問は、中国では本草学(ほんぞうがく)と呼ばれていました。日本に伝来した本草学は、広く動植物に関わる博物学として、本草書(動植物図鑑)を誕生させていきます。中井履軒の『左九羅帖』は、懐徳堂の代表的な本草書です。
履軒は、動植物図をわかりやすく描き、そのかたわらに名称を記しています。筆致は極めて写実的で、履軒の本草への関心を伝える資料であるとともに、履軒の画才を窺わせる資料ともなっています。
履軒は、動植物図をわかりやすく描き、そのかたわらに名称を記しています。筆致は極めて写実的で、履軒の本草への関心を伝える資料であるとともに、履軒の画才を窺わせる資料ともなっています。
履軒は、動植物の名称が混乱しているのを憂え、これを正すために『左九羅帖』を著したと考えられます。たとえば本資料の冒頭には、サクラおよびウグイスが描かれており、そのかたわらには「樺」および「青鳥」と記されています。日本で「サクラ」には「桜」字をあてるのが一般的であり、また、履軒の兄の中井竹山は「桜」ではなく「海棠」の字をあてるべきだとしています。これに対して履軒は、「樺」が正しいとしています。なお、懐徳堂最後の教授並河寒泉が晩年「桜ノ宮」に住み「樺翁」と号したのも、従祖父である履軒の説に基づくとされます。